根津化学研究所

 

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創設から学制改革まで

根津化学研究所の設立は1936(昭和11)年に遡る。現在の武蔵大学・武蔵高等学校・武蔵中学校の前身である旧制武蔵高等学校の創立者である根津嘉一郎翁の喜寿を祝い,父兄会・同窓会を中心に祝賀行事が計画された。しかし,根津理事長(当時)は祝賀行事が個人的なものとなることを好まず,学校の利益となることを願って,その結果,本研究所が設立されることとなった。理事長の誕生日である614日に研究所の贈呈式が行われ,初代研究所長には玉蟲文一教授(理学博士)が就任した。

玉蟲博士を中心とした研究活動は,コロイド化学を中心とした物理化学の進歩に大きく寄与するものであった。第二次世界大戦から戦後の困難な時期を通じて高度な研究が展開されたことは,現在においても高く評価されるところである。この時期を中心とした研究業績の詳細については「根津化学研究所20年史」(1956年)にまとめられている。教育機関における研究活動が旧帝国大学に集約されていた旧学制において,私立の旧制高等学校が特定領域の研究所を設置し,高度な研究活動を展開したことは特筆すべことでもある。また,研究活動を背景とした教育活動は,旧制武蔵高等学校の出身者に我が国の自然科学領域を担う研究者を輩出させる大きな要因となったとみられる。

学制改革に伴い,旧制武蔵高等学校は現在に至る武蔵大学・武蔵高等学校・武蔵中学校に転換する。この激動の中,創設以来所長を勤めてきた玉蟲博士は武蔵を去ることとなり,研究所は新たな時代を迎えることとなる。

 

戦後から現代へ

玉蟲文一博士が東京大学教養学部(旧制第一高等学校)に移り,研究所は,大学学長または学園長を所長として,運営されることとなる。大学・高等学校・中学校の化学担当教員が所員を兼担して,研究活動が展開されて行った。特に,伊能敬武蔵大学教授は中心的な役割を果たし,1975年からは所長代行として研究所の活動の中核を担った。なお,この前年には,東京大学を定年退官,東京女子大学・学習院大学に奉職していた玉蟲博士も武蔵大学に復帰し,再び所長(翌年より名誉所長)に推戴されるなど,研究活動・教育活動の総まとめの時期を迎えていた。また,玉蟲博士にはオストワルド賞,日本化学会賞(教育)などが,このころ授与されることとなる。

学制改革後から80年代にかけて研究所で展開された研究テーマとしては,色素・界面活性剤などの有機化学的研究,液晶の物理化学的研究,化学教育への視聴覚教育の導入などがある。化学教育における新手法の開発は戦前においても大きなテーマであったとみられるが,この時期に導入・開発された視聴覚教育の手法は他の領域の教育にも広がっていくこととなる。

 

将来への展望

現在の根津化学研究所は,学園長・理事長である田中郁三博士を所長として,運営されている。新しい世紀を前にして,研究機関の社会的貢献として,研究所の名前を冠した「根津化学研究所理科教育セミナー」(武蔵大学主催・日本化学会共催)を一般公開のセミナーとして開催するなど,新たな活動が始まっている。学会発表・学術論文などに,再び「根津化学研究所」の名前も散見されている。新世紀の飛躍を期して,研究所の活動に新たな胎動が始まろうとしている。

 

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