私のオリエンテーリング遍歴


 初めて1人でOL大会に出た日から、もう17年になろうと しています。家族の後をくっついて歩くハイキングから、よう やく1人で大会に出るようになった頃の、あの“どきどき”、 サバイバルをかけてジャングルに一歩を踏み出すような恐怖と 期待がふくれあがるようなあの気持ちは、今ではなつかしく、 もう味わうことのできないものとなりました。今よりずっと真 剣に地図と景色を見ていたような気がするのに、それでも何も わかりませんでした。それが、いつ、どうやって、やり方を覚 え、思うように走れるようになったのか、そのへんの記憶はど うもはっきりしません。多分ほかの人と同じように失敗を繰り 返しながら、恐らく誰よりも多くの時間をかけて、目然と身に っけていったのでしょう。日本のOL界自体が、ひとつひとつ の段階を踏みながら、着実に進歩している時代でしたから、私 にもゆっくりとした時間があったのです。
 父に連れられて、各地の大会に参加した高校生の頃は、OL の未知な部分の楽しさもさることながら、クラブの人や、知ら ない人からも、「えらいね、小さいのに、がんばるね」と声を かけてもらうのが、大変な励みでした。そして、大学生になり 早大OCに籍をおいた頃から、トップの自覚を持ちはじめ、い ろんなことから自立していったような気がします。
 念願の全日本チャンピオンとなり、そして、ヨーロッパヘの 初遠征と夢は果てなく、“恐いくらいに”OLに没頭していた 時でした。
 9度の全日本選手権優勝(うち6連勝)という記録は、自分 にとっても驚異的であると感じられるものであり、それが10 年以上に及ぶ期間だと思えば、よく続いたな、と他人事のよう に感心しています。
 その中には、OLをやることが、少しおっくうになった時期 もありました。自分の走ったコース地図ですら見たくもなくて 「なぜこんな気持ちでOLを続けているんだろう」と自問を繰 り返し、しばらくOLから遠ざかろうかとさえ思いました。特 にそのような心境で全日本大会を走ることは、非常に苦痛でし た。どうしてそんなスランプが訪れたのか、またそこから出ら れたのかは、未だに分からないのですが、でも、その時苦しい 気持ちでいながら、それでもOLを続けていた理由は分かった ような気がしています。全く当り前のことなんですが、やっぱ り「OLが好き」だったからなんですね。ちょっと考えすぎた り、いろんなものが気になって、それがちょっと見えなくなっ てしまっただけで。
 2回の世界選手権への参加は、さらに自分の「OLへの愛着」 を自覚させてくれました。世界選手権をめざす過程で、またそ の舞台で、私はそれまでにない、さまざまな感動を経験するこ とができましたが、最も心に残ったものは世界選手権というす ばらしいレースでOLを楽しむことができたという純粋な満足 感でした。そう、OLをやりたくて、そのためにここまで来た のだと。でもそれは、オリエンティアなら誰もが持っ、そして どんな大会への参加に対しても基本的に存在する当り前の感情 なのですよね。
 私は、今ちょっとの間、OLがうまくなろう、速く走ろうと することをお休みしています。でも、毎日トレーニングするこ とや、上手に走ろうと悩むことがつらく面倒なことのように感 じられても、必ずOLの楽しさをふくらませてくれるものだと 身をもって実感したことを、決して忘れはしないでしょう。生 活とのバランスを大事に考えなければならない立場になってし まいましたが、それだけに、前にもましてOLへの愛着を身近 に、また大切に思うようになりました。
 「OLは一生のスポーツ」こんなキャッチフレーズも最近に なってようやく胸をはって言えるようになりました。15才の 頃からOLを愛し、そしてOLをこよなく愛する人々と楽しく 交わりつづけてきた自分の幸せを、今、心の底からつくづくと 感じています。

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